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淳のひとり言 バックナッバー

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コブタのチャシュー

2005年4月30日(土)

 きのうの倒壊のシュックを引きずったまま家に帰った。 とぼとぼと車をとばして (気持ちだけトボトボ) 8時過ぎ、いつもならそろそろ眠りにつこうとする時間なのだが、今は忙しくてあんまり早く帰ることはなくなった。 朝6時から8時までの14時間労働である。 それでも気分は爽快で満足だからあまり疲れなどは感じたことは無かったが、倒壊のショックと言うよりも作品そのものが間に合うかどうかの気苦労で、ちと、疲れたかな? 修復まで三日はかかりそうだ。 しかし、それにもめげず気分転換に大好きな料理を二品ばかり作った。 クリームシチューとチャーシュー。 ビール片手に10時過ぎまでかかってつくってみた。 味見はしなくてもいつもの味は感覚でわかる。 すきっ腹にビール飲みながらやっていたものだから、少し酔いが回っていて、火を止めてから気がついたが、どうも色味が悪い? しまった人参さん入れるの忘れていた。 綺麗にへりをとり見た目も美しくと頑張った人参・さ・ん・・・。 なんで声掛けてくれなかったの、父だって忘れることがあるんだよ、なんて独り言いったって、いまさらどうにもならない。 その点チャーシューはめんこい、多少こげたって、どうってことない、ブーブー文句も言わない。 いつものようにおいしいチャーシューが淡々と仕上がっていく。 なんだかんだと後片付けしてるうちに11時を過ぎていた。 そろそろ寝ようと思いつつソファーに・・・・・。。。。。。・・・・・・。。。。

焼き豚がコブタに見えてきた・・・ЁЖТУФРСП わたしも・・・倒壊。。。した。。。


 

とうかい

2005年4月29日(金)

 4月29日、快晴、南西の風やや強く次第に強くなるでしょう。 とまぁ、いつもの天気予想であるが、次第に強くなるどころか台風並の突風が吹き荒れた。 ほこりにまみれながらの展示会、それにしても、こんな天候でもお客様はたくさん来てくださる。本当にありがたいことだ。 やはり、我々同様、春が待ち遠しくてしょうがなかったのだろう。 みな口々に 「凄いかぜですね」 これが挨拶言葉になってしまった。 
 ところで、右の写真を見てほしい。 これは、5月20日から始まる国際バラとガーデニングショーに出展する三つの作品のうちの若手の作品の一つで、約50%位のところまで完成しつつあったのだが、なにしろ軽量化とユニット化することだけで、現実的にありえない構造の為、今日の突風で見事に倒壊してしまった。 貼り石は見事に剥がれ落ち、見るも無残に砕けてしまっている。 
 がっ、しかし、この剥がれ落ちたあとの壁の雰囲気・・・なかなか作ろうと思っても作れない。 何と言うか長年の風雪に耐え続けた自然のおりなす模様とでも言えばよいのか、それとも・・・・まぁ、とにかく何とも言えない。 作者はどう思うかは別として、私なりには、このままでいいのではないかと感じている。 ただ、ダメージがどの程度かは、明日改修して見なければ何ともいえなが・・・。 
 いよいよ二つ目の作品の製作も始まった。 我が社のポリシーは、あくまで自然体である。 今日の突風も自然のもの、うらむわけにはいかない。

 とは、言っても、また、やり直し こんどはかぜ薬でも飲ませておけば何とかなるのかな? 
あと、とうかいいないに何とかしなければ間に合いません。      

ふんむぐられたチューリップ

2005年4月27日(水)

 見出しに 「ふんむぐられだチューリップ」 とあるが、県内の方はすぐにお解かりかと思うが、ここの独り言は県外の方も数多く見られているようなので一応解説をしておこう。 「ふんむぐられだ」 とは、「ふんづけられた」 と言う意味である。ちょくちょく方言が、過去にもこれからも出て来ると思うが、都度、解説をして行きたいと思うので。 是非、参考にしていただきたい。 
何の役にもたちません。
 さて、ふんむぐられたチューリップであるが、このチューリップの球根は、毎年オランダから直行便で輸入している、お店から仕入れてくる物であるが、毎年売れ残る。 その売れ残りを展示場のあちらこちらに植えて、今の時期を楽しみに待ちわびているもので、私にとっては売れ残りでも可愛い娘みたいな物だ。 その大切な売れ残りが、なんとホシノにふんむぐられてしまっているではないか。 しかし、よく見ると傷は浅く何とか持ちこたえそうだ。 ここの場所のチューリップは、やたらと生育が良く他のところよりも良く育っている。 土の違いだろうか? 日当たりの加減か良くわからないが、まぁ何とか綺麗な花を見ることが出来るだろう。 なるべくホシノは、近づけないようにしたい。  (ホシノとは、我が社の営業見習い犬のことである)

「かあちゃん、せっかくのチューリップ、ホシノがふんむぐった!半泣き状態」
「あんだっ!なして、こごさ植えだのっ!」 「ハァッ」 「こごは、ホシノの便所っ!」
「ハァッ! 便所っ ・・・ どおーりで、やだらど育ちいいどおもった」

分相応

2005年4月24日(日)

 きのう東京町から帰ってきた。 21日に八戸駅から出発する時に久しぶりに友人とでくわした。 その友人とは八戸青年会議所時代に良く飲みに歩いた仲間であったが、会議所卒業後は、めったに会う機会はなかったので、10分くらいの待ち合わせの間に話込んでしまった。 「どう、最近仕事のほうは?」 と聞かれ、「今は、凄く忙しくて猫の手も借りたいぐらいだよ(冬は借りてきた猫のようにおとなしい)」 するとその友人は、「うちは深刻だよ、例のほら・・・・」 「あぁ、それは本当に大変なことだったなぁ・・・」 などと話しているうちに列車が入ってきた。 互いに同じ場所に立っていたものだから、互いに同じ車両かと思いつつ 「もし、席が空いていたら隣に座りますか」 と言う話もした・・・。 ところが、いざ乗ろうとしたら彼は右方向、私は左方向、変だなと思いつつ切符を確認。 間違いない8号車の喫煙車両、そのうち来るだろうと思いつつ9号車の方を見たら・・・あらま、9号車はなんとグリーン車・・・がくっときた。 景気の悪い話しておいてグリーン車とは、なんともはや・・・。 超零細企業が、ちょっとばかり景気が良いと言ったところで、大会社の不景気の方が、まだましということか、と実感したわけである。 別に負け惜しみではないが、我が社の旅費規程には、役員はグリーン車使用の事と規定がある。 しかし、私はグリーン車に乗ることはめったにない。 と言うのも、やはりお客様あっての会社であり自分、直接お客様と接している以上は常に低頭でありたい。 
煙のむんむんと立ち込める8号車には、とうとう彼は姿を現さなかった。

私は、思った。 この商売を続ける以上グリーンは、お客様に与え続ける物であると。 
・・・と、まぁ、その・・・完全に負け惜しみ状態である・・・

出張

2005年4月20日(水)

 明日から東京町まで出張に行ってくる。 G−21の会合と、ちょっとした仕入れが目的だ。 東京はなんと4ヶ月ぶり、別に楽しみでもないが、皆より一足先に桜の花が見れるのが嬉しい。 定宿に予約を入れたらなんと満杯状態と断られた。 今の時期は修学旅行シーズンとのことで、なかなか宿はとれないらしい。 まぁ、行けば何とかなると思うが・・・。 長男が京都にいたころは、東京での仕事が終わると、そそくさと新幹線に乗り京都までまっしぐら。 男二人でよく京の夜を満喫したものだった。 しかし、今はそんな訳にもいかない、何とかキャンセルでも出てくれるのを待つしかない。 実は私はホテルが大の苦手で、一人であの狭い個室に入っているのが、とても怖いのである。 別になにが出るのでもないだろうが、とにかく全部の照明を付けっぱなしにしておかないと眠れない。 それでも結構熟睡してしまうから、慣れとは恐ろしい物だ。 家ではもちろん照明は全て消して眠る。

 別に、何が出るわけでもないが?    ・・・寝返りさえうたなければ・・・。    

呪文

2005年4月18日(月)

 女房が、たまーに宝くじを買ってくる。 私は、あたりもしないのにそんなの買って何になる! と言う。 買わない人には絶対当たらないけど、買った人には当たる可能性があるんだ! と言う。 それは当たり前のこと、しかし、と言いかけ・・・・・沈黙してしまう ボ・ク。 女房には、お気に入りの宝くじ売り場があると言う。 ○○前の宝くじのおばさんは必ず 「3qljr94い」 と呪文を唱えて渡してくれるそうだ。 女房いわく、そのおばさんから買うと何となく当たるような気がして、そこを通ると必ず買いたくなるのだそうだ。 なるほど、「当たりますように」 と唱える呪文、これは世界一短い、セールストークではなかろうか? たった数十秒いや数秒のやり取りの中で、確実にリピーターをつかむこの呪文。 我々の商売にも何か生かせないものかと考える。。。 呪文・呪文・呪文・・・。 やはり色々考えたが、直接お客様に呪文を唱えることは難しい。 が、社員にだったらと・・・。 唱えてみた。

「社長、見積書にハンコ下さい」 きたきた、一通り見たふりをする。 そして角印・検印と押して 「決まりますように」 と 呪文を唱えた。 すると 「あぁ、これ、きのう注文もらったやつです」   ガク! なかなか上手くいかないものだ。 

超過密スケジュール

2005年4月15日(金)

 久々に独り言を9日間もあけてしまった。 実は超がつくほど忙しかったのである。
まず、第一は、例の国際バラとガーデニングショーの三つのブースをどのように、作っていくか、どこまでユニット化できるか等等の検討と、実寸おこしに付き切りになってしまっていた。 なにしろ、うちのかみさん以外は入賞するなんて思ってなかったものだから、思いっきり金のかかる仕様で、しかも1.8mの石積に、さらにそこから滝が流れる仕組み! 「何でこんなのだしたのよーっ!」 「ま・さ・か・入いると思ってなかったものですから・・・」 とうなだれる。 腹はたつは、時間はないは、物は入らないは、で、とにかくてんてこ舞いしていた。 第二は、4月22日からの展示会のチラシも間に合わなくなってしまい、担当の女性と二人で三日間で仕上げるという、今までにない超スピードでやってのけた。 少し疲れたが本音である。 そんな訳でHPの更新が遅れてしまった。 しかし、これからまだまだ忙しくなる。 バラガのブースの仮組はまだ一つしか構想が決まっていない。 あと二つは手つかずである。 かみさんのブースでは、これから野菜の種をまくという? チーム季節館のブースは、水に強い和紙をいまだに探し回っている。 これで本当に間に合うのだろうか? わしや知らん!

今回の出展は、○田中隆典 YASURAGI ○田中町子 風あそび ○チーム季節館 ちょっと和風なTEA GARDEN と、まあ、この三点であるが、全国のつわものにどこまで通用するかが楽しみである。

「で、田中くん、ブースの方、目鼻はついたのかね?」 「はい、目鼻はつきましたが、植栽の芽花が、いまだに・・・」 「草〜花・・・」 「福岡から花と菜っ葉と枝、借りてくるか」 「社長、あのHPの写真、たしかスリッパ履いた大根でしたよ」

処処啼鳥を聞く

2005年4月14日(木)

 きのうの新聞に青森市の積雪が0センチになったと報じられていた。 平年より15日も遅いそうだ。 しかし、これは、あくまで観測所での積雪であって、実際には、まだまだ、雪そのものは、あちこちに残っているのだろう。 
 さて、話は変わるが、この時期になると、ラジオや新聞でもちょくちょく耳にしたり目にする言葉に、春眠暁を覚えず(春眠不覚暁)という名句がある。 しかしここまでの句は誰でもしっている。 が、この後の句とは案外知らない人が多いのでは・・・? と、独り言に書いてみようかなって、ある社員にしゃべったら、「そんなの、誰だって知ってますって、恥かきますよ・・・」 と軽くあしらわれた。 やはりそうなんだ。 実は、私にはちょっとしたコンプレックスがある。 高校が工業系だったものだから、このように一般教養として誰でも知っているような事が身に付いていのが事実で多々恥をかくことがある。 その社員のお陰で、今日は、恥をかかずにすみそうだ。 やはりやめておく・・・。 

「ところで、○○君その後の句を・・・。 あれー、どこさ行った。 おーい吉田君、おーい」 

白鳥の群れ

2005年4月5日(火)

 二、三日前、おそらく、最後であろう白鳥の群れが春の大空に大きく羽ばたき、北へ北へと向かって行く。 何故、あえて酷寒のシベリアへ帰ろうとするのか・・・。 そこには、いったい何があるのだろう・・・。 と、大自然のロマンを感じずにはいられない。 この地で産まれたヒナ達も今では立派な成鳥である。 まだ見ぬ酷寒の地に、どんな思いをはせているのだろうと空を見てふと思った。 ところが今朝、何気に空を見上げると1羽の白鳥が東の空へ向かって飛んでいた。 はぐれてしまったのだろうか、それとも方角を見失ってしまったのだろうか、心配である。 毎年数羽の白鳥はこの地で暮らすこともあるというが、誤った方向に飛んでしまった1羽の白鳥、遠い東の空から舞い戻ってくることが出来るだろうか・・・。 心配だ。 

あまり空を見上げていたらくしゃみが出た。 はーくちょん あぁー、今年も花粉だけは酷寒の地というわけにはいかないらしい。 もう花粉だけはスワンと言いたい。  

淳少年のいたずら

2005年4月2日(土)

 きのうはエープリールフール、四月バカである。 私達の年代だとエープリールフールよりも四月バカの方が、どちらかというとピンと来るようだ。 さて、昨日のいたずらであるが、やっぱり、かかぁに怒られた。 実は我が社の駐車場にはとなりのテレビ局の職員の車が三台駐車してある。 そこには当然ATV(青森テレビ)様と看板がかけられているが、それら全てにNHK様・RAB様・ABA様とライバル局の名前に変えておいたのだが・・・さて・・・。 「社長、おはようございます。 私きょうからNHKさんにお世話になることになりました」 と隣の若いおねえちゃん。 さすがテレビ屋ばっちりユーモアが通じたようだ。 とにんまり、デヘヘヘヘと急にいやらしくなる ボ・ク。 となんやかんやで家に帰ったら長男が、 「いくらエープリールフールだからって、あんなくだらねぇ冗談はやめろよ!笑われてるよ!まったく」 ときた、今度は、かかぁも一緒になって私をせめる。 「明日に五十になる男のすることか・して」 と怒られてしまった。 しかし、少年時代のいたずら心とは、いつ芽生えるか分からないものだ。 

正直、看板を書いている時は、その少年時代そのものだった・・・。 いいもんだなぁー  

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