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淳のひとり言 バックナッバー

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弘前店オープン

2005年10月27日(木)

 以前から、ちょくちょく弘前に行ってきた話題を書き込んでいたが、ようやく事務所の開設にこぎつけた。 去年あたりから急に津軽地方のお客様にお世話になる機会が多くなり、今後のメンテナンスなどを考えると、どうしても拠点が必要になったというわけである。 今後の展開は、とりあえず展示場は持たず全て足で稼ぐという事になりそうだ。 これから春に向け、いや、この冬を大いに満喫していただく為のライティングのご提案もして行きたい。 まぁ、近い将来には展示場を持ちたいという気持ちはあるが、それは青森に出店するときに考えるとして、今はとにかく弘前店を成功させることだけ考えよう。

写真は弘前店事務所内

このごろ、最後の落ちがなくなってきた。 例のジャパガで落ちてしまったからかなぁー? ガクッ! 

真っ向勝負

2005年10月22日(土)

 何があるか分らないコンテストガーデン。 正直いって今回は金賞を取りにいったのである。 わざわざ横浜までトラック仕立てて・・・。 しかし結果は出展しただけという残念な結果となってしまった。 別に悔しさは残らないが、ただメンバーに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。 全国のつわものぞろいのガーデーナー達を代表して創り上げたコンテストガーデンブースではあったが、何故金賞はおろか銅賞にも入らなかったのか皆目見当がつかない。 講評もなくただ単に場内アナウンスが流れただけ・・・。 メンバーの中には、こういったコンテストの審査を数多くこなしているも者も数人いるが、「審査基準がまったく分らないのでは話にならない」 「何でこれが賞の対象にならないのか?」 等など意見は様々。 出発前にも書き込んだが私はショウの為のブースは創るつもりはまったくなかった。 そのままお客様のお庭として使えるもの、楽しめるものを創った。 でなければお客様に申し訳が立たない。 これで賞がとれないのであればそれはそれで仕方あるまい。 我々の程度がこの程度なのか、選ぶ側がその程度なのか分らないが、来年はメンバー、全会一致でこのコンテストには出ないことに決めた。 
もっとレベルの高いところで勝負しよう・・・と。

と、すると国際バラとガーデニングショウと言うことか? 
うむっ、ヤバイ我が社としては、とてつもなく大きなライバルを自分自身で作ってしまうことになる。 いやーまいったな・・・。 次回の会議では反対にまわろーっと。

久々の家族

2005年10月20日(木)

 我が家は4人家族で子供達は長男、長女と二人兄弟である。 しかし、この四人がまともに顔を合わせて一つ屋根の下に居たことは、ここ11年間のうちでたった一度しかなかった。 長男は15で埼玉へ行ったきり盆も正月も帰らず、寂しい思いをしたものだ。 長女は高校で英語の勉強に励み?16でアメリカに行ってしまった。 その後高校を卒業したかと思ったら今度は突然大阪へ行くと言い出し、そこで何年か暮らしていた。 英語を学んだはずの長女だったが今年の春にふいっと帰って来たら完全な大阪弁になっていた。 「なんやねん、その言葉」 おっーと、私もつられてしまった。 「はよう、なおさんかぁ」 「多分、無理やわ」 こんな会話がつづいた。 この時だけだった久しぶりに家族4人そろったのは、この11年の間でたった2ヶ月。 楽しく過ごさせてもらった。 そしてまた今年3月、ふぃっと出ていってしまった。 「今度はどこへ行くの?」 と私 「ニューヨーク」 と答える娘 「いつ帰ってくるの」 「わからんなぁ」 「なにしに行くの?」 「歌」 と、ぽつりと答えた。 
きっと反対されると思ったのであろう。 「お前の人生だ好きにしたらいいよ」 と心とは裏腹の言葉を振り絞って言ってやった。 「ほなぁ、行ってくるわ」・・・。 
あれから半年、ベビーシッターをやりながらコツコツ貯めたお金で、おとといの夜遅く帰ってきた。 私のとなりに布団を敷きぐっすりと眠った。

そっと、娘の手をにぎりしめた。
「なーにするっきゃ!このスケベおやじっー!」 すっかり八戸弁になっていた。

横浜

2005年10月11日(火)

 今朝一番の新幹線で東京町経由横浜まで行ってくる。 今回は今月13日から始るジャパンガーデニングショウのブース展示の為の準備であるが、8割方組み立てたブースは、すでに出発し今頃は東京町を通過中ではないだろうか? 手伝ってくれるメンバーには、9時集合をかけているが、招集した本人はどう急いだって11時にしか着けないとはなんとも情けない話ではないか。 まぁ、これも信頼のおける仲間であればこそ出来ることであり、私の業界でもっとも気の置ける仲間たちでもある。 昨年は惜しくも銀賞ではあったがなかなかの出来で、このレベルになると甲乙付けがたいのが当たり前のことではあるが、そのような賞がある限り更に、上をめざしたくなるのもこれまた当然のことと言えるだろう。 こうなると賞を取るためのテクニックが必要になってくる。 実際のガーデンにはありえないようなものも配置しなければなくなったりと矛盾が生じかねないが、それがショウガーデンの偽ざる事実である。 「これと同じものを作って下さい。」 と言われてもお断りを申し上げなければなるまい。 しかし、私はそんなテクニックは使わない! あくまで実際のガーデンで楽しめる物! 実際に使える物! で勝負して行きたい! おーっと、随分力が入ってしまったが、この気持ちだけは貫きたい! でなければ、お客様の叶うはずの夢が叶わないものになってしまうではないか、それではこの仕事をしている意味もなく、賞をとる為だけの展示ブースで、ただの夢物語になってしまうからだ。

取り急ぎ取りとめのない話になってしまったが、これを貫いて金賞が取れたなら本当の金と言えるだろうと私は考える。 

津軽弁・南部弁・しょうじゅん語その2

2005年10月8日(土)

 またまた、(逆に読んではいけない) 弘前にいってきた。 今回は現場をのぞきに行ったのではなく、なんと弘前の事務所の契約に行ってきたのである。 事務所? そとおり。 今月末から弘前営業所ができるのだ。 津軽方面からのお客様からのご要望が多くまた、現場の数もそこそこ増えてきたことから、将来的なメンテナンスも容易に出来るよう弘前営業所の開設となったわけである。 
 まあ、それはさておき、いつものように真っ直ぐ弘前へ、とは行かないのが我々の常である。 やはり途中、黒石に寄ってしまった。 黒石は津軽三味線の発祥の地であることは誰でも知っているはず・・・? その黒石の小店通りの、ある店から津軽三味線がバンバン聞こえてきた。 いくら津軽三味線発祥の地でも、あれほどの音量で店内に津軽じょんからを流していたらさぞ、うるさ過ぎではと思いながら店内をのぞいてみる。 ぎゃっ、生演奏だっ! しかもただで聞けるとなれば入らない訳にはいかない。 早速??? うむ、 客が三人しかいない。 たしかに小さな会場ではあるが、たった三人とは・・・。 と思いながらも最高の場所に陣取り津軽三味線をじっくり聞かせていただいた。 凄い迫力である。 べべんべんべんと聞きなれた曲が流れる。 なんとも言えないこの心地よさ。 ふと、福岡のあいつを思い出した。 津軽三味線頑張っているのかなぁ・・・。 おっと、こんなところで私情がからんではいけない。 とりあえず、福岡のべんちゃんのことは別にして次の話に行こう。
 演奏が終わった。 そこから軽快なトークの始まりである。 あの独特の津軽弁でまくしたててくれることを期待しながら聞き入った。 「えぇー、本日はようこそ・・・・黒石小店通り○○へお越しいただきまして・・・」 なんだっ、東京町の言葉ではないか、せっかく津軽三味線に津軽言葉を期待してたのにーっ、誠に残念である。 お店の人に聞いてみた。 
「したたて、津軽弁でしゃべくれば、ときょのひとんどぁ、じょぅだんこへたたたて、さっぱどらずぁねずおえ」 ??? 

東京町の皆様お解かりいただけたでしょうか? 
翻訳 したたたて(切り返す時に用いられる) 津軽弁でしゃべりまくると、東京の方々は冗談をいっても、さっぱりらちがあかないんだって・・・・・じゃんちゃん 

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