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嫁入り

2006年4月30日(日)

 HARUKAの話題がしばらく続くが、ゴカンベンを。
実は、きのうHARUKAの嫁入り先が決まったのである。
場所はまだ明かせないが、さんざん親の手を煩わせたHARUKAであったが、嫁入りとなると、ちと寂しい気もする。

 私の子供はHARUKAばかりではないが、いつもトラックにのせられお客様の所に出発するときは、姿が見えなくなるまで見送る。
心の中で、ちゃんとお客様の役に立つよう頑張るんだよと問いかけながら出してやるのである。

 最近は、住宅街を走れば、わが子があちこちに見えている。
おっ、タミオ君頑張っているね。 おっ、セーラムちゃんもいるね。
おかしいだろうが、私はそんな思いでいつも子供たちを見守っているのだ。

 しかし、今回のHARUKAに対する思いは今までとはまったく違い、難産に難産の末ようやく生まれた容姿端麗な美しい娘であるから・・・。
にもかかわらず、HARUKAのやつは展示場に並べようとすればなかなか言うことを聞かず、自分勝手なことばかりで、何十回ときょうせいさせられたことか。
兄弟姉妹の中で一番手の掛かった子だけに、よくぞここまで成長してくれたものだと感慨深いものがある。

そのHARUKAは新天地に向かって連休明けに出発する。

 私の母は、今年で84歳になるが口だけは達者である。
四人兄弟の末っ子の私に対し母は、「兄弟の中でお前の程、手のかかった子はいなかった・・・・」 (これ以上はだめ) といつも言う。
更につづけて母は 「この○○○○○!」 
ばさまっー、嫁ッ子の前で、そたらごど、しゃべるなぁっー!
「ふん、出した○○引っこまながべ」 

時、すでにおそし・・・。

ポスター事件

2006年4月27日(木)

            [ 起 ]
 4月26日
朝、6時半スタスタスタっと階段を駆け上る音。
あっ、常務だ、と足音で分る。
朝一番に出社するのが私で、新堂常務は二番目に早い。
コンコンと私の部屋をノックする。
どうぞ、「あのー、社長のお姉さんの写真がほしいのですが?」
「姉の写真?いつからファンになったんだ?」
「違いますってば、ポスターに似顔絵をかかなくちゃいけないので・・・」
「あっ、例のポスターね」

実は、今展示会において、女流一級建築士と女流ガーデンデザイナーによる住宅相談会を開催することになっており、そのポスターを新堂常務が描くことになっていた為である。

             [ 承 ]
新堂常務が、描き終えたポスターを誇らしげに女流ガーデンデザイナーに見せたところ、いきなり 「何っ、これっ」 となった。
「めぐせーっ」 (※翻訳:可愛くない或いはみっともない)
「それに、このおばさんって、なんなのっ」 となったわけで・・・。
納得のいかないご様子
するとしばらく考えて、なんと、このガーデンデザイナーは、当社の新堂画伯の絵に手を加え始めたのである。
しばらくして 「うむー、これだば良い」 (※翻訳:これなら良いわ)
と、手を加えた絵に満足・・・よしよし

             [ 転 ]
そこへ、ただいまーと帰ってきたY田社員にそのポスターを見せるガーデンデザイナー
すると、絵と本人の顔を見るなり 

「これって、詐欺ですよ」

と、言わなきゃいいものを・・・。
言ってしまったのである。
「さぎっーっ!」 「さぎっ、とわなによっー」
「いやっ、あの、その、えーと、 %')(&=~||#""! 」
「ううう、うさぎのように可愛いですね」 と苦しい答弁・・・。
「ああー、うさぎね、うっさっぎぃっー    ね」
と、自分を納得させる女流ガーデンデザイナー
             
             [ ○ ]

 4月27日
今朝、五時、私は出社した。
すでに事務所の電気がついている。
新堂画伯である。

「あのー、これでよいでしょうか」 と、夕べのポスターにさらに手を加えていた。
涙ぐましい努力である。
私は、本人に聞くようにと促すだけ・・・である。

と言う訳で、いまだに 〔結〕 論は出ていない。

女流ガーデンデザイナーは納得済みだろうが、問題は女流一級建築士である。
いや、そんなことはない、女流一級建築士はきわめて優しい性格であるから、
でも、女であることは確かだから ・・・ と不安も・の・こ・る。。。。。。

女流ガーデンデザイナー  田中 町子
女流一級建築士       田中 文恵

私の妻と私の姉である。

きのう、姉歯元一級建築士が逮捕されたが、うちの姉は、姉歯とはまったく関係がない。

小池さんがやって来た

2006年4月25日(火)

 小池さん? 
小池さんって、だぁーれ。
となってしまうので、一応説明しておこう。
ようするに、HARUKAの産みの親である。
そして、もう一人のハルカの育ての親でもある。
以前にも説明したが、我社のログハウスの名前は、この小池さんの所に働くハルカさんから頂いた名前で、春を待ちわびる北国の人間にとっては春の香りや芽吹きは言葉では言い表せないほどの感動である。
その感動とハルカさんの笑顔が、私の心の中で重なり合ってつけられた名前なのだ。
そのハルカさんの出身は中国黒龍江省で、ここもまた、酷寒の地であることは間違いない。
ゆえに春、香と書くかどうかは分らないが、ご両親もきっと春を待ちわびていたに違いないと思うのである。
ハルカさんは中学卒業後、家族を養う為に単身、上海にやってきた。
24時間営業の台湾料理店で16時間労働を強いられていたという。
賃金はたったの300元(4350円)、でも5年勤めると500元(7250円)になるという。
たった、それだけを楽しみに日曜、祝日、盆、正月もなく田舎の家族を養う為にもらった給料の半分以上を仕送りにあてていたという。
しかも、彼女の住むアパートは8人部屋で2段ベッドの下の空間だけが唯一自分に与えられたプライベイトルームであった。
もちろんテレビ゛もなければ風呂もない。
そんな生活をしている中、この小池さんに出会ったのである。
小池さんは、彼女の勤める台湾料理店にちょくちょく食事をとりに通っていたという。
そこで彼女に 「どこから来たの?」 「黒竜江州」 「上海に来ていいことあった?」 「なーんにもない」 「お客さんは日本人?何の仕事してるの?」 「貿易」 「貿易ってなあに?」 etc・・・ とまあ、こんな会話から、「うちの会社で働かないか」 「日本人は嫌い、怖い」 とか色々言われたそうだが、その後彼女は小池さんの会社に勤めている。
店の者からは 「絶対だまされているからやめたほうが良い!」 とか、「そんな高い給料には裏がある!」 などと、さんざんいわれたが・・・・。
今の彼女の給料は以前勤めていた時の10倍、アパートは日本人と商売をするには、やはり日本人並の生活をしてもらわなければの配慮から、中国では高級の部類にはいるマンションに住まわせてもらっているという。
その彼女が今年のお正月に5年振りに帰省をしたのである。
上海から汽車に乗って車中三泊四日かけての旅、両手に抱えきれないほどのおみやげを持っての帰省である。
汽車の座席は柔らかいシートは高いとのことから、板座席に乗って行ったと聞いた。

 そんな、ある日小池さんから電話がかかってきた。
「田中社長、ハルカが帰ってこないんですよ、なんの連絡もないし・・・」と、小池さん
「まだ、19、20才だし、親にでも引き止められたんじゃないの?」と、私
「そんな、はずはないと思うが・・・」

 皆さんは、ご存知かどうかは知らないが、中国の正月の帰省ラッシュというものは、日本では到底想像が付かないほどのラッシュになる。
私の父親に言わせると、終戦直後の映像をみているようだという。
通路やデッキは人人人で屋根の上にまで人が乗っかっている状況だと言えばお解かりいただける思うが・・・。
 ハルカさんは、このUターンラッシュに巻き込まれてしまい、帰りの切符が手に入らなかったという。
仕事初めから四日後に帰ってきた。
なんとも、涙ぐましい話ではないか。

 うちのHARUKAも、予定の6日を過ぎても姿を現さず、とうとう産みの親の登場であったわけで、本日のタイトル 《小池さんがやって来た》 となった。

 ところが、その小池さん、口を開くと寒い、あーっ寒いしか言わない。
今日は、これでも暖かいほうですよ・・・と、いっても通じない。
そうなると、やはり中から暖めるしかないわけで、うちの母ちゃんと三人で夜の長横町 (東北では2番目にランキングされている歓楽街) に繰り出したわけである。
可愛いお姉さんに 「どちらから?」 と聞かれると 「上海?福岡?広島?」 となってしまう。
国籍不明と言ったほうが楽なようにも思うが・・・。
「八戸は寒くないですか?」 「ぜんぜん・ぜんぜん」 
おいおい、全然、態度が違うじゃないか!
「いや、これも慣れですね」 だと。

「ところで、小池さん、ホテルは?」
「えっ、社長のとこ、泊めてくれないんですか?」
ぎゃっー、これは、まずい
ところが、かあちゃん、さっと機転を利かせ 「私、お先しますから、どうぞ二人でゆっくりしてきてくださいな」 (客が来ると言葉がやたらと良い)
まあ、その後どれだけ飲んだか??????
いまさらホテルでもあるまいし、我が家にご案内した次第である。
さすが、かかあ、きのうまでの散らかり具合が、まるでウソのように、きれーいに片付いてある。
これだったら毎日お客が来てくれれば・・・ねぇ。

 嵐のようにやって来た小池さん、青森空港から一直線で福岡に向かった。
その途中、積もった雪を見たことがないというものだから、みせてやることにした。
初めちょろちょろ中ぱっぱではないが、最初は少しの雪にも、すげーすげーの連続で写真を撮るわ撮るわ、ところが、積雪8メートルにもなると、 「この壁、倒れてきませんかね?」 「いゃ、たまに倒れて下敷きになって二三人は毎年なくなってますよ」 と冗談を言ったとたん、黙り込んでしまった。
「いや、うそですよ」 と言ってもなかなか信用しない。
一度、恐怖心をあおると、なかなか大変なものである。
パラパラっと雪が散っただけなのに、やたらと震え上がるし、我々には何とも無いシャーベット状の道では、隣で足をつっぱりブレーキをかけている。
「小池さん、助手席にはブレーキはありませんよ」
「あっ、そうですね、でも福岡ではこの状態の雪道が一番事故が多いんですよ」
「ここは福岡ではありませんっつうのに」

 小池さんは感動と恐怖の連続で、おおはしゃぎ?。
「こんなとこ、ハルカに見られたら、ローパン(社長)は日本に遊びに帰ったと思われるから、写真は見せないでおこう」 と言っていた。

 おーい、ハルカさーん。 ローパンは、日本で毎日お酒を飲んで、雪合戦やら雪だるまつくってあそんでばっかだったよー。
ねぇ、小池さん

安堵

2006年4月23日(日)

 ようやく間に合った。 アーチスト村・・・。
この22日からの展示会に何とか間に合わせようと、前日までかかりようやく開村にこぎつた。 ログハウスのHARUKAにはどうにもこうにも苦しめられ、予定の倍近くの時間がかかってしまった。 難産を強いられてしまったのである。 しかし、出来の悪い子程可愛いと言うではないか。 私もこのHARUKAが可愛くてしょうがない。 
今後、工場と改善策を整え全てのパーツをもう一度改め、お客様の手元へは完璧な物をお届けすることをお約束したい。 現時点でも時間はかかるが、組めなくはない。 しかし素人には無理がある。 とうぶんの間は、当社の職人を手配し、お手伝いさせていただきたい。 6月入荷のものからは、今回の課題を肝に銘じたものが完成するはずであるから問題はあるまい。

 さて、アーチスト村であるが、現在人口7名、体験入村者7名と現時点では大賑わい状態でショップの方もまずまずのスタートを切ったといえよう。
初日の入場者は52組、延べ132人の入場があった。
引き続き村民を募集し集客数アップと行きたいところである。

 さてと、問題児HARUKAは、一体どこでどう間違ったのか仕事が進むにつれ部材が合わなくなってしまい、細かいところには改めて加工を施さなければならず、二重の手間がかかってしまった。 一箇所手を加えることにより、全てに手を加えざる得ない状況だったわけで ・・・ 産みの親の顔が見たいものである。
本当にもう・・・。

 てなわけで、明日にでも産みの親を紹介してみようかな?
今日はアーチスト村の全景を、ご紹介しておこう。 

手紙

2006年4月13日(木)

 海の向こうの娘から手紙が届いた。
普段はメールでのやりとりだが、うちの母ちゃんがPCできないのもで娘には手紙で知らせなさいと言ってある。
しかし、手紙は投函してから4・5日かかって到着する。 娘と私の間ではメールで情報のやり取りをしているので、手紙よりも便利で金と時間もかからない。 手紙だと受け取って返事を出していればゆうに10日はかかってしまう。 

 しかし、母ちゃんが嬉しそうに 「○○から手紙が届いたよ、読んで聞かせるか?」 なんて言っているが、内容を聞くと私がすでに入手した情報だったりしている。 しかし、それでも初めて聞いたふりをしないと母ちゃんが可哀想なので、とりあえず 「あぁ、そうかぁー」 と少しオーバーアクションをしてあげる。 するとシャンソンではないが、何回も何回も繰り返し読み始める。 私も母ちゃんのシャンソンとは違い苦痛ではない。 やはり、実筆の手紙はメールと違い人の暖かさを感じるものだ。
「あんださも来てらよ」 「いやっ、かぐしてらったなぁ」 「へへー」 
と、これもまた嬉しそうに 「何て書いでらの?」 と何回も聞く 「うるせー、今読んでら、だまってろ!」 何ていう会話にもならない会話が通じあう。

 手紙の内容は、メールにはなかった内容であった。
○生活が少し楽になりました。 仕事はレストランでパンを焼いたりケーキを作ったりして、夕方からはベビーシッターをしながらだけど、歌のレッスンも受けられるようになりました。
と言う内容であった。 さらに
○こちらに来てからずぅーと私と一緒だった、大きく穴のあいた靴下にお別れしました。 
ずぅーと貧乏だったから・・・。
でも、今は・・・。
と、つづくが、涙で文字がにじんで、見えない。
かかあが、「めがね貸すが、50にもなって・・・」 と、また会話にならない会話をする。
メールはいつもインターネットカフェから入れていたという。

好きだとは言え歌を勉強したいと単身、海を渡り朝早くから夜遅くまで働いて、週1回のレッスンも間々ならず、それでも必至に頑張る娘・・・。
かかあのシャンソンとは比べものにならない。   (おっと、ヤバッ・・・ ここカット ・・・)

娘に誕生日プレゼントを送った。 ノート型パソコンである。 これで少しは楽しみも増えるだろ。

おーい、むすめー、父もこの靴下とは、お別れするから、ガンバレヨーッ!

HARUKA

2006年4月12日(水)


八戸ガーデニング倶楽部総会

2006年4月8日(土)

 本日、八戸ガーデニング倶楽部の総会があった。

あら、そうかい。

すみません

2006年4月6日(木)

 すみません。
今、とても忙しいんです。
暇なやつほど時間の使い方が下手だと言いますが、私の場合、今現在忙し過ぎて書込みが出来ないわけで、つまり忙しいやつにも時間の使い方が下手な者もいるということでしょうか? ズコッ

 今月20日オープン予定のアーチスト村の工事が予定より遅れてしまい、てんわわんやの真っ最中。 これが済んだら次はこれという段取りが出来なくなってしまい、全てが同時進行なのである。 つまり、段取りがつかなくなり、一日中つきっきりで指示を出さないと仕事が前に進まない状態に陥ってしまったのである。 店舗改装なんかではよくあることだが、徹夜してまでというところには至っていないわけだからまだ余裕があるのだろうか? 
 でも、独り言がすらすら出ないのは確かで、頭の中がアーチスト村だらけの状態では、PCの前に座る余裕すらない。 ゴメン

今日の出来事
 車の前にいきなり飛び込んできたものが・・・。
ギャーッと急ブレーキをかける。 あわてて車から降りる。 
拾い上げて  ・・・これまたビックリ・・・ 
それは、交通安全とかかれた   カンバン   であった。

責任者でてこい と 独り言を言った。


  

とうとう4月

2006年4月2日(日)

 とうとう4月に突入!
今年の春は早い・・・なんて誰かが言っていた。 
どこが早いんだっー!
三寒四温? そんなのは3月からしゃべり始めていたが、ずうっと三寒四寒! じゃないか! 
いつたいいつになったら春がくるんだー!
と言っていたら、待望のHARUKAが入荷した。
HARUKAってなあに? 
実は今年の新作のミニログの名前です。
春を待ちわびる思いが募りに募って春の香りを早く感じたくて・・・。
この名前をつけてしまった訳である。
まあ、本当のところは別にあるが、それを言ってしまっちゃ、ちと都合の悪いことになってしまうから、言わないでおいた方がよさそうだ。
ところが、この間社員をつれて上海に行った時にばれてしまったのである。
会議では、新作のネーミング会議を1時間ほどかけてやったが、なかなか良い案が出ない。 しかたなく最後に鶴の一声 「新作はHARUKAで行こう」 と私が決めてしまった訳だが・・・。
上海で、社員(Y田)に、「今日は疲れただろう、うまい焼肉でも食おうぜ」 とさそった。 まあ、そこまでは良かった。 そこに同席したのが、上海の会社の面々。 初対面の吉田君は可愛い事務員から手渡された名刺を見て驚いた。
日本語で読むとたしかにハルカと読めるが、中国語だと(%’=%##%&’=)と読むのだが、どうしてもハルカと読んでしまうY田君。 どうも納得がいかないらしい。 「だから、それは誤解だっつうの!」 「でもですよ社長・・・」と突っ込んでくる。 「ああ、面倒臭い、それならそれでよいではないか、もう決まったことだし・・・」 と突き放す。 それでも食いついてくるのが彼の性分である。 結局のところHARUKAで治まったが・・・。 問題はかかあである。 Y田君が余計な事をしゃべらなければ、何とか乗り切ることが出来るのだが・・・。

「おかさん、風のはるか見ないと、NHKさ回してちょうだい」
「NHKのはるかは、おわったっ!」
おっと、やばかった。 あぶなく墓穴(ボケツ)掘るところだったよ。
「おとさん、風のはるかで思い出したけど、上海のハルカさん元気だった?」
「ハイ、ゲンキデシタ」
「ちょっと、あんだ、声がうわづってらよ」
「ハイ」 「会社、行ってきます」
すたこらサッサ・・・。 Y田 余計なこと言うなよ!感嘆符!

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