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淳のひとり言 バックナッバー

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とりの

2006年2月27日(月)

 何日かぶりの雪の朝を迎えた。 このところの陽気ですっかり春気分になっていた私の心がすさんでしまうのは何故だろう。 やはり春が待ち遠しい・・・。 トリノオリンピックも終わり、ようやく通常番組に戻るNHK。 別にオリンピックが嫌いなわけでもないが、どうしても見ているだけで、まだまだ冬を感じざる得ないものだから・・・。
 
 なんちゃって、ちと私には似合わないフレーズになってしまった。 元々はオリンピック大好き人間で、若い頃はほとんどの競技に見入っていたはずなのだが、いつの日からかあまり興味を持たなくなってしまったのである。 それは多分息子が冬季競技を始めてからではなかろうか? その子らが厳しい練習に耐え努力する姿、親としてのやさしい言葉も掛けてやらず、あえて厳しく接せなければならなかったあの頃・・・。

 やれ金・銀・銅のメダルが何個、入賞におわればもっと上を狙えたとか・・・。 そんなものは聞きたくもない! 出場するからには頂点を目指すのは当たり前のことではあるが、ボブスレー競技などはあまりにも酷ではないか、方や3000万のそりにエンジニア付き、もちろんスポンサーも。 日本はと言うと全て自前、あげくのはてに中古品を400万円で買ったそりだという。 新車のベンツに私の中古のカローラで参戦しているような物・・・。 どれ程の苦労、苦難を乗り越えてここにやってきたのだろうと思うと、メダルなんてどうでもよくなるのは私だけだろうか。 そんな日本の冬季スポーツにおけるお家事情が、本日の東奥日報朝刊に掲載されていた。

 ところで、ファンには叱られそうだが、私は安藤美姫のことをアンミキと言っていた。 ところがミキティーと言うらしい。 まぁ、それもしかたがあるまい。 私の心の中にあるフィギャー選手と言えば、未だにジャネットリンしか存在しないのだから・・・。

 ちょっと、あんだ、何がジャネットリンしか存在しないだってっ!? 朝ま、三時から起ぎで、ミキティーだの静香ちゃんだのって、会社がら来れば、何回も何回も再放送ばぁーり見で、あんまりウソつがねんだっ!
 
ハイッ。。。。。

お庭えんぶり

2006年2月23日(木)

 今年も、五穀豊穣を願い春を呼ぶえんぶりがやってきた。 えんぶりについての解説は去年も同じ時期に独り言に綴っているので必要に応じて去年の話をみてくれれば良いだろう。 
 市内の更上閣(国の有形文化財の建物)では、会期を二日間延長しての、お庭えんぶりが開催されたという。 この更上閣は、明治から昭和にかけての呉服商や銀行業で東北を代表する財閥になった人物よって建てられたと新聞には書いてある。 そこに会期中1200もの席を設け1日2回のお披露目があったと言う。 しかし残念なことに、地元に住む我々小作人はなかなか見る機会がないのである。 旦那様ではないからと言うことではなく、そのほとんどの席を旅行会社が買い占めてしまい、我々のところにはなかなか回ってこないらしい。 まぁ、それはそれで観光客が沢山来てくれることは良いことであるから、しかたのないことだと簡単にあきらめる。
 しかし、形は違えど今年も我社にはえんぶりがやってきた。 まさに、お庭えんぶり、いやガーデンえんぶりと言ったほうがピッタリするかも知れない。 遠くからお囃子や太鼓の音が響いてくる。 おっ、今年も忘れずやってきたな・・・。 すると間もなく世話役のおじさんが 「しゃちょーっ、いつものどごで、いがべ (いつもの所でよろしいですか?)」 と入ってきた。 「あぁーぁ、いがったいがった、おぐさ、おぐさ (良かった良かった、どうぞ奥の方へ)」 と、ぼく。 社員は全員ポスティングに出かけていて誰もいない。 母ちゃんと事務の女の○と三人だけである。 広ーい、お庭の展示場で正にお庭えんぶりの始まりである。
 五穀豊穣・商売繁盛を願い勇壮なすり(舞)が始った。

ふと考えた。 更上閣よりはうちの会社の方が広いし、人もいっぱい入るし、庭はあるし、・・・。
あっ、ダメダ有形文化財がなかった。 と、独り言。
しまった、かかあに聞かれていた。
「バーカバカしい、あんだ本気で、そたらの考えでらの?あんだ文化財やったらいがべ、こたらの考えるのあんだ位しかいねがら、おらが文化財さ指定してけら、文化罪さっ!」
※翻訳 「バカバカしい、あなた本気でそんな事考えているの? あなた文化財やったらいいでしょう、こんな事考えるのはあなた位しかいないから、私が文化財に指定してあげるわ、文化罪にねっ!」
あーあ、へるんでながった。 ※翻訳 あーあ、喋るんじゃあなかった。

にぎり飯(まんま)

2006年2月17日(金)

 いやー、にぎり飯の話が続くのは何故だろう? この間仙台に出張した時に皆に振舞ったにぎり飯がやたらと美味かったと褒められ、つい嬉しくなってしまった。
にぎり飯といえば日本人なら誰でも食す当たり前の食べ物ではあるが、何故かこのにぎり飯を食すにつけ、子供の頃の思い出がよみがえってくるのは私だけだろうか?
にぎり飯には母親の愛情がギューッと詰まっている。 終戦から11年目に産まれた私にとっては、さほどご馳走であったとは思えないが、何故か子供の頃を思い出させてしまうものなのだ。 
「おかちゃん、すずご!しおびぎだば、かねっ」
※翻訳 「母ちゃん、すじこ!しゃけだと、食べない」
と言って母親をこまらせたこともある。
三個と言ったのに大きいのが二個、これにも逆らったことがある。 今にして思えばなんと母に失礼なことばかりしてしまったのかと反省しきりであるが、今頃気づいても、もう遅い。
しかし、母も若かった、その失礼に対して答えるエネルギーもあったのだ。
「気に食わながったら、もってぐなっー!」
※翻訳 「気に入らないのなら、持って行くな!」
まぁ、思い出されるエピソードは沢山あるが、なんとも、にぎり飯とは不思議な食べ物である。
しかし、全てのにぎり飯で母を思い出すわけではない。 三角おむすびでは決して思い出さない。 にぎり飯は丸くなければならないのである。 丸いからにぎり飯。 英語に訳す時もライスボールのはずだが・・・。 これはこじつけか・・・。

 一番上の姉が高校卒業後、東京町の調理師学校に進んだとき、お弁当に丸いおにぎりを持って行ったら 「あらー、おいしそう」 と言われ最初はバカにされてると思ったそうだ。 しかし、東京町の方では三角おむすびが普通で、丸いおむすびは見たことがないという。 その、丸の形が何とも可愛らしくおいしく見えたらしい。 
 
 姉の東京町でのエピソードも話せば尽きない。
「ねぇ、その、じょみず一緒になげで、けないかしら」 
※翻訳 「ねぇ、その残飯も一緒に捨ててくれないかしら」
などは、まだ序の口である。 まだまだ、これからクレームのこない限り・・・

いでーっ、にぎりまんまど一緒に指くってまった。 

暖かい (ぬぐい)

2006年2月14日(火)

 今朝は3時から起きていた。 特にオリンピックを見たくておきていた訳でもないが、携帯のメールの音で目がさめてしまった。 きっと、娘からのメールだと思い開いてみたが、違っていた。 誰から? それは言えない・・・フフフ・・・。 それはともかく今日は仙台に出張である。 しかも、私の大嫌いな車での移動となる。 朝から弁当つくって、(すずごのおにぎりとサンドイッチ) いざ会社に向かおうとして玄関を開けたら 「いゃーっ、ぬぐい (※翻訳・暖かい)」 道路の雪が融けてどうろ・どうろ状態。 この状態なら高速はきっと乾いているだろうから、快適?なドライブになりそうだ。 今、携帯がなった。 娘からかとおもい、 「もしもし」 すると 「あっ、おらだ、なにやってらっけ、早ぐこい」 と、なんとも、今日一緒に出張する、本家のごで様(※翻訳・あととり長男) からのさいそく電話だった。 まぁっ、今日は急がねばしかられそうなので、この辺で失礼。

えっ、おちはどうしたかって・・・それは、高速からおじでがらねっ・・・。
意味が分らない? とくに意味はありません。 ほな、いってきます。

すずごど塩びぎ

2006年2月7日(火)

 まだ新幹線が通る一昔前までは、出張といえば朝一のはつかりに乗って母ちゃんのすずご (すじこ) ど塩びきのおにぎりを三個、盛岡で乗り換えるまでに食べるのが楽しみだった。 しかし、いつの間にかすずごがすずごでなくなってしまった。 化学調味料にどっぷりとつかり、本当は塩辛いはずのものが甘口仕上げなどという表示にだまされ、ついつい手にしてしまう。 珍味屋から話を聞いたことがあるが、これらの類のものは濡れ珍といい、もともと塩辛すぎてそのままでは口にも出来ない物をいかに化学調味料で人の口をだますかだという。 なんとも気持ちの悪い話ではないか。 私達が小さい頃でも筋子は高級品ではあったが、塩味が程よくきいてあっついめしにすずごは最高の食べ物だった。 塩ウニもそうである。 いまの塩ウニはこの筋子と同じやりかただという。 安ものの甘塩にはきおつけろと彼は言っていた。 すずごはあっついめしにのせで、または握り飯にして食べるのが一番美味いはずだが、今の筋子はあっつい飯にのせたり握り飯にすると美味くない。 これは、筋子の中にたっぷりと含まれた化学調味料が飯の熱で溶け出し表面に或いは筋子のまわりの飯に溶け出してしまう為で化学調味料と本来の筋子と飯をそれぞれに食しているようなものなのだ。 昔のすずごと今の筋子は明らかに違う。 いまとなっては懐かしいというよりも懐かしすぎる すずごと塩びぎ・・・。

じゅーん! おぎろー(起きろ) 学校さおぐれるどー ドタドダドタ と三階の部屋から降りてくる淳少年。
めしは?とお袋  あっつーまんまさ ・ すずご  きょあすずごねぇっ (今日は筋子はありません) 
ふだら (そしたら) しおびぎでもいいや   [とは40年前の朝の会話である] 
顔もろくに洗わずすたこらさっさと八戸小学校へと向かう。 が 今日もほとんど授業を受けず一人、ぽつりと廊下にたたずむ日々を送る。

「ただいまーっ」  「きょあ、どうだった」  「うん、二時間しか立だされなかった」  

大阪のおばちゃんの雪だるま

2006年2月5日(日)

 母ちゃんの通っている陶芸教室に、かわいい大阪のおばちゃんがいる。 ご主人は八戸の方なのだが、転勤で全国を歩きまわりつい3年程前に、初めて八戸に移り住んだという。 天真爛漫で、思ったことは何でも口にするタイプ。 別に悪気はないのだが、その素直さ故に時として失敗もあるらしい。 しかし、そんなことはまったく気にせず常にマイペースのおば様、私から見てもとても可愛らしく思えるのである。 さて、その大阪のおば様であるが、八戸に越してきて3年というが、雪だるまの作り方を知らなかったという。 近所の子供たちが外で遊んでいるのをみて、なにげに声をかけたそうだ、 「雪だるまでもつくろうか」 と・・・。 
自分きりでは、スコップで雪山のように盛り上げてから形を整えて丸く仕上げるとばかり思っていたそうだ。 ところが子供たちは小さな玉をつくり、その玉を転がして徐々に大きくしていったという。 「みごとやったでぇー」 と自慢げに話すが、我々にとってはごく当たり前のこと、誰も関心した様子もなくふむふむと相槌を打つ以外になかったという。 しかし、スコップで山のように積み上げてから形を整えるというのは分らないでもない。 よくテレビで見る札幌雪祭り等の雪像作りは確かにそのようにして作るわけだから、あまり雪に馴染みのない方々には雪だるまも雪像作りも同じになってしまうのであろう。 しかし、雪だるまが出きるほどの雪質であれば、少し暖かくなってきた証拠。 本当に暖かくなっているのだろうか? 昨年末からずぅーと冷凍庫の中、外で雪を握ってみたが、パサパサで雪玉は出来ない。 やはり、そうとう冷えているのだろう。 本当に今、春はどこにいるのやら・・・。

ゲイの為なら女房もなかすー。 それがどうした文句があるくぁー。 ・・・・・・・
ナニワの 春ーーーだんじー    ああ、やっぱり大阪におるんやなぁ、おばちゃん。

2006年2月3日(金)

 年をとると歯にガタが来るらしい。 最近、営業犬の
タラがメシを食わなくなってしまった。 あいつは昔からそうだったが、美味いものしか食わない犬だった。 
ドックフードを与えると見向きもせずにストライキを起こす。 とうとう根負けして人間の食べ物を与えると気が狂ったようにガツガツと食べ始める。 定期健診で少し太り過ぎですね、何をあたえてますか? コンコンと先生から説教を受けてしまった。 それからというものタラと私のコンクラーベが始った。 1週間がたちとうとう白い煙が上がった。 このコンクラーベでは、私が勝ったのである ・・・ ほうぉぅ ・・・ 。 
タラはドックフードを渋渋食べ始め最近までスタイルも申し分なく健康そのものであった。 
が、ここ1月ほどドックフードを口にしなくなってしまった。 私は、またどこかで美味いものの味をしめてきたのか心配であったが、どうもそうではないらしい。 ドックフードに水を入れてふやけてくると食べ初める。 歯にガタが来ているらしい。 人間で言えばもう七十婆さん、それもしかたのない話だ。 もう、コンクラーベはせず、なるべく柔らかいものを与えることにする。
 歯と言えばどうしても思い出してしまうのが姉歯さんである。 この業界はどうしても立場の弱い者のところにしわ寄せがくる。 下請け・孫請け・ひ孫請け・しまいにはやしゃごまであると言うから、いったいどうなっているのかと思う。 

小話 ヒューザーのマンションでヒューズァー飛んだず。 歯ー、とんだってが。 
    飛んだのヒューズばりでねー、かつらもとんだず。 毛ー、とんだってが。

    ちなみに私の姉は一級建築士です。    

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