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淳のひとり言 バックナッバー

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やめた

2005年9月30日(金)

 きょうは、乗りがわるいのでやめた。

津軽弁・南部弁・しょうじゅん語その1

2005年9月22日(木)

 きのうは片道3時間の旅だった。 十和田湖の休屋をかけ黒石へ、もちろん途中での休憩は欠かさない。 山越えをしてようやく虹の湖へ着いた。 そこで昼食をとることにした。 「レストランは二階です」 の案内に従い二階へと行ってみたが、まぁレストランというより食堂といったほうがぴったしカンカンと言わざるを得ない。 水はセルフサービスということで水が置いてあるカウンターへと ・・・?・・?・? うむ、なんだこりゃ? どういう意味だ 「めやぐ!セルフサービスで・・・」 との張り紙が、なに?めやぐ? こちらの方言であろうこの・めやぐ・意味のわからないまま食事を済ませ外で散歩した。 途中、若い奥様と3歳くらいの男の子とすれ違った。 ここで言うのもなんだが、ジーンズ姿にへそだしルック、今時の若い奥様という感じであったが、けばけばしくなく妙に似合っている。 東京町の方からでもやってきたのであろうと思い、なにげに目で追ってしまった。 やはり、このあたりの人とはセンスが違う、とその親子をほほえましくも思った。 ところが、すれ違いざまに耳を疑うような言葉がはっせられた。 「まいねっっ!まいねっってば!いーし投げるなでばこのわらし!」 まさかと思い振り向くと・・・あぁー100年の恋も・・・とはこのことかとまじまじと実感した次第である。 20数年前一閃風靡したシャンプーのコマーシャルを思い出した。 「泣いているのか笑っているのか、後姿の素敵なあなたー・・・」 までは良かった。 振り向き様に 「いやっー、しょしぃ、しょしぃでば・・・」 というわけで青森県での撮影は済ませたが全国に流されることはなかったそうだ。

全国の皆様のために通訳します。
「めやぐ」 とは津軽弁で  すみません   「まいね」 とは津軽弁で  だめ
「しょし」 或いは 「しょしぃ」 とは津軽・南部弁共通で  はずかしい 
ちなみにボクは しょうじゅん語しか使いません。 あぁーしょし。    

独り言回想

2005年9月21日(水)

 ここで独り言を書くようになってから早1年が過ぎた。 本当にあっと言う間の1年・・・。 話題には事欠くことなく相変わらず楽しい人生を送らせてもらっていることに感謝する。 食の話題・業界の裏話・家庭内のこと・会社のこと・お客様との話・ペットの話・・・etc・・・etc しかし、中でも多かったのが我が家の裏事情と食の話題ではなかったろうか。 私は隠し事の出来ない人間であるから全て事実であり、また嘘をつくことも絶対に出来ない人間であるからやはり、正直に書いてしまうのである。 
 
さて、話は変わるが、今日もまた弘前まで出かけることになった。 現場の追い込みで、どのような按配になっているかの確認である。 もちろん担当者は、ほとんど毎日通い詰めであるが、ちょっとした治まりなどのアドバイスが必要なこともあり私の出番がやってきたというわけだ。 さて、そろそろ出かけようと思いきや、これを書いている間に・・・。 

「ちょっとーっ、あんだーっ、長靴とはさみーっ」 しまった、また3時間かかってしまう。 「帰りはべづだほう (別の方) 廻ってくるべしね (こようね)」 だと。
夫婦二人三脚とは、よくいったものだ。 帰りも3時間・・・。

写真は帰ってきてからアップします。 「あんだーっ、はやぐーっ、てば」    ハイ

テレスタつくり

2005年9月16日(金)

 きのう隣のテレビ屋(ATV青森テレビ)のスタジオつくりをしてきた。 これは毎月1回八戸支局からの全県向けインタビュー番組で県南地方で様々な分野で活躍しておられる方々を紹介するものである。 (実は私も出演したことがある) さて、この番組のスタジオつくりのきっかけは、以前にもお伝えした通りなのであえて書かないが、ただどうしても書いておかなければならないのが、あくまでボランティア、つまり無報酬でお手伝いしているということである。 フジケン季節館はこんなものかと思われるのも何だしー・・・。 と言う訳で、朝早くから素材探しに近所の山に出かけたり遠くの現場に行くときに道端にある草花や実物を確保しつつ出来るだけその時どきの季節が感じられるスタジオつくりを心がけているのである。 もちろん出演者によりそれぞれのテーマを持つわけであるからそれらにも一工夫二工夫が加えられる。 展示場の草花はもちろん小物も大切な小道具の一つである。 お金を掛ければどんなものでも出来るのだろうが、限られた素材でどこまで表現できるかと言うのも作り手の楽しみでもありまた、我々のもっとも得意とするところでもある。 今回のゲストは・・・・おっーと・・・・これ以上は書くわけにはいかない。 こうご期待を。
でも、ちょっと待ってくんなまし。 上の写真は良いのですが下の写真の背景がちょっと寂しくないですか? へへへへ・・・そこにもちゃんと入る物が決まっているんですよ。 それは番組を見てのお楽しみです。

へぇー、ただでテレビスタジオつくりとは、やっぱりフジケンはテレスタもんだなぁー。    

津軽

2005年9月15日(木)

 9月13日母ちゃんと二人で弘前の現場に向かった。 弘前までは車で約2時間半かかるが、やはり母ちゃんと二人だと優に3時間はかかってしまうのだ。 というのは、母ちゃんは職業柄どうしても道端の植物に目がいってしまう。 「ちょっととめでーっ」 の連続でなかなか前にはすすまないのだ。 実物・草物・・・etc・・・しかし根こそぎ採る様なことはしない。 ほとんどがドライフラワーや装飾用にするので根っこは必要ないのである。 
 まあ、それはさておき現場に着くなりまだ下地の段階ではあるが私も職業柄すぐにその現場の良し悪しが仕上がりをみなくても判別がつくのである。 だてに30年近くもこの仕事をしてきたわけではない。 「おいっ、帰るぞ!」 「はぁ、(もう)帰るの?」 「はぁ、見なくても良い、この現場は完璧だ」 「物事に完璧ってあるがして(あるのかしら)」 うるせっー、とは言わない、いや、言えない。 屁理屈には到底かないっこないからだ。 「せっかぐこごまで来たもの、この間テレビでやってらった野風パン (ヤフーパン) 近いごったがら行ってみるべ」 「うん、わがった」 「それど、嶽きみも(嶽というところの名産のとうもろこし)買ってかえるべね」 本来の目的よりもついでの方が、やたらと多くなってしまう。 嶽きみは、やはり評判通りの美味さだったが、野風パンの方はどうもいけない。 もう、ノイローゼ状態でブザーを鳴らしても人の気配はするが一向に出てこない。 ようやく出てきたおばあちゃんが、あのテレビ放送があってから、もう大変で大変で電話が鳴りっぱなしでパンなんてつくっていられない、それでしかたなく電話もインターネットも止めてもらっているとの事である。 遠くは名古屋から車で尋ねてこられた方もあったそうだ。 まぁ、八戸なんて近い所ではあるが、しかしなんとなく私の心の中にむなしさが残ってしまった。 事情は察するが、店主の笑顔がちょっとでも見ることができたなら、どんなパンの味よりも素晴らしかったであろう。 その後は嶽きみを二人でほおばりながら一路八戸へとはいかなかった。
 津軽はなんと城の多いこと、弘前城はもちろん田舎館村の役場には城の天守閣がそびえ立っている。 更には金木町にも羽柴秀吉の名でよく全国の様々な選挙に出まくっている三上君ちのお城もある。 なるほど津軽の人はやることがでかい。 てなわけで帰りには田舎館村の天守閣に登ってみた。 
 
しまった!稲作部門ガーデニングでは完敗である・・・・・・なんたることだっ! 稲のガーデニングとは、思いもよらなかった。

田舎館村を過ぎ黒石市に入った途端、またまた、城の看板が飛び込んできた。 〔ニュー黒石城すぐそこ〕 〔休憩○○円宿泊○○円より〕 おっ、母ちゃん母ちゃん母ちゃんでばっ。 いくら呼んでも返事がない    

詐欺

2005年9月14日(水)

 私の朝はとにかく早い。 午前4時起床、5時には出社している。 一人で2杯分のコーヒーをいれ愛犬のタラとホシノに朝食をあたえ、外で思いっきり遊ばせ一連の動作の中でどこに落したかを確認して、それらを片付ける。 たまに、確認できない時もあるが、その時は誰かが踏むこともある。 しかし、ご来場のお客様に迷惑をかけるような所には絶対しないのでご安心を・・・。 その後は社内を一通り見回す。 不思議なもので長年早朝から出社していると、夕べ私が帰ってから社内でどんな事があったかなど手に取るようにとは言わないが、だいたいは解る。 もちろん最後に帰った社員は誰かなんて鍵を開けずともすぐに判ってしまう。 その後メールの確認やら工程表のチェック、日報のチェックやらしているうちに7時に常務が出社といった具合にその日が始る。 私は朝礼と朝の段取りが済むと自宅へまっしぐら・・・(最近はラーメン屋ではなくなった)・・・朝食をとりに帰宅する。
 と、まあ、ここまでは日常のこと。 朝食をとった後、また会社に戻る訳だが、その途中で詐欺にあってしまった。 

おーい、サギさーん。 何で二羽なんだーっ。 四羽いたら本当の詐欺師だったよーっ。

出張

2005年9月3日(土)

 明日の朝1番の新幹線で東京町に出かける。 別に遊びに行くわけでもない。 人の目から見ればただひたすら東京の町中を駆けずり回っているようにしか見えないらしい。 えっ、誰がみてるかって? それは、かかあに決まっている。 実は何回かかかあを連れて出張に出かけたことがあるが、もう二度とあんだとは行きたくないと言う。 無理はない。 というのも私はせっかく東京町まできたのだから1つの目的だけで帰るのはもったいないと思い、到底無理なスケジュールでも強行にこなしてしまう為、後ろから付いて来るものには耐えられないらしい。 「あんだ、会社さ居れば、ボヘーとしてるくせして東京町さ来ればやたらと張り切るね」 ときた。 実際かかあと東京町を歩くのは大変なものだ。 というのは、絶対にかかあは自分のスタイルを崩すことはしない。 歩く早さ・・・東京町には東京町なりの早さがある 言葉・・・八戸弁は絶対にくずさない(たまに私が通訳する)  服装・・・これは東京町も変わらない とまあ喋ればきりがないが、一番困るのは電車である。 ぱっぱっぱっと歩いてくれれば快速にのれたのに・・・が何回もある。 やむをえず各亭に乗って次の大きな駅で後ろから来る快速に乗り換えようと頑張れば残念ながら混んでいて座れずじまい。 「ふだすけ黙ってどんこうさ乗ってればいいのさ (だからだまって各亭に乗っていればよかったのに) 」 と言う。 私にとって座る座れないが問題ではない、とにかく時間がもったいないだけなのだが、かかあにはそれが通用しないのだ。 しかし、今回の出張は少し余裕が持てた。 日曜日にガーデナーのスチュアート氏と秋元ふみ子氏と会う約束をしている。 その後一旦八戸に帰り7日のガーデン21の会議に臨む予定だったが、かかあがいいことを言ってくれた。 「汽車代(電車代)もバカになんねぇ、東京町さそのままいだら」 と、たまにはいい事を言う。 数ヶ月ぶりの東京町、少し羽根を伸ばしてと思いきや 「これ、○○バラ園の地図、雑誌でみたの、それから○○園芸さも寄って、あれと、あれを・・・・あと、○○もなくなってるから仕入れてきて、その後は好きにしてくればいい」 おいおい、ちょっと待て二日やそこらじゃまわりきれねぇぞ。

何を言っても無駄なのだ。 東京も千葉も埼玉も、ついでに言わせてもらえれば横浜も含めて東京町だと思っているのだから。 大げさに言えばどこにでも二・三十分で行けると思っているらしい。 今時貴重な人物で私の重要形文化財いや人間国宝である。 大切にしないと。 ねっ、かあちゃん。    

逃げた女房

2005年9月2日(金)

 我が家は家庭内別居のメッカである。 ご存知のように私も女房も24時間一緒にいるわけで、寝る時くらいはゆっくりあなたの寝言を聞かずに休みたい。 との事から夫婦別々の部屋で休むことになったのである。 かれこれ10年以上になるのかな? しかし、そんな中、二階の部屋の模様替えをするとのことから急遽 「きょうから、あんだと一緒に寝るから」 と言って女房が私の部屋に居候し始めた。 しかも嫁入りの時に持ってきたタンスも運び入れる始末。 これは本気だと確信した。 私達夫婦には共通の癖がある。 それはテレビを見ながら眠るという癖であるが、タイマー設定し、つけっ放しはまず無い。 ところが一日目、互いにもう眠ったのかな?まだかな?と気を使いすぎているうちに、テレビも電気もつけっ放しで朝を迎えてしまった。 「ちょっと、あんだ電気つけっ放しで。。。」 まあ、私の部屋であるから責任もって消さなかった私も悪い、と、無理に自分に言い聞かせ二日目を迎えた。 「ちょっと、あんだ」 「うぅー、なーに」 「電気消してけね(くれない)」 私は、80%の眠りのなか、むくむくと起き上がって け・し・た。 明日の電気係は、いや、これからもずーと私に違いない。 やや憂うつになりかけた。 と、そんな時名案が浮かんだ。 ヒモ・ひも・紐だ。 子供の頃よく電気にヒモをぶら下げて引っぱって消したものだった。 明日からはそうしようと思いつつ今夜はお休みなさい。 
 翌日のばげ(晩) 私は女房より早く床についた。 例のヒモをぶら下げて・・・。 しかし、どうもヒモが長すぎたようでちょうど私の鼻の辺りをくすぐるので、調整しようと下の方を二つ折りにして結んでみた。 あぁ、ちょうどよい、これで今夜からは起き上がらなくても電気が消せるなと、自分で自分を褒めた。 それから数分もたたぬうちに女房がへやの戸をあけた。 とたん 「ぎゃーっ!あんだーっ、死ぬのだらもっと太いのにしなせっーっ!(あなた、死ぬのだったらもっと太いヒモにしなさい)」 私は一瞬何が起こったのかわからなかったが、よーく見るとなるほど、納得。 頭が入る大きさではないが、人が驚くには申し分のない大きさである。 

その日から女房は、どこかの部屋に消えてしまった。 甘い?甘い?二度目の新婚生活は露と消えた。  

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