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講師

2006年5月26日(金)

 「おかさーん、おかさーんてばっ、大変なことになってしまつた!」
「なに、うるせーこど」
「今、NHKがら電話で、ガーデニングの講師やってけねがって」
「何の講師だって」
「だがらNHKの・・・・・」
「嘘、つがねんだ」
「いや、嘘でねってば」
「あんだ、して、何が資格もってらのが?」
「資格ねば先生やられねってが?」
「そーでねっただって、ろぐだ学校も出でねえのさ何が先生だってよ!」
続けざまに 「あんだでながったが、大学も表から入って裏がら出てきたの? 大抵は裏がら入っても正々堂々と表から出でくるもんだんだ」
「何、関係ねぇ話するのよ」

と、まぁこんなことでNHKの文化教室とやらで、講師を務めることになってしまった。

よく話を聞いてみるとバラの教室と素敵なガーデンめぐりという2コースを受け持っていただきたいとの事である。
当然ながら我々の仕事はトータルコーディネートであるからバラだけに特化されるとやはりその道のプロにはかないっこない。
そこで、バラに関しては私の所属する八戸バラ会の藤田先生と阿部先生にお願いすることにした。
私は、と言っても母ちゃんと二人で一組であるから、私達二人は素敵なガーデンめぐりを受け持つことになったのである。

さて、7月から始るこの教室であるが、会場が何と我社の展示場のローズガーデンと季節館ホールで行われる事になった。
そのローズガーデンであるが、場所と名前は決まっていたが、肝心のバラが去年植えたばかりのちっぽけなもので、とてもじゃないが皆様にお披露目できるものではない。
そこで、講師の藤田先生が、わざわざご自宅から丹精こめて育て上げたバラの移植をすることになった。
しかし、今の時期バラを移植することは非常に困難極まりなく誰もやりたい仕事ではない。
一級の庭師を手配し11本のバラを二日がかりでようやく移植は完了した。
庭師も、今までにない緊張の連続であったともらしていたことから、如何に難しい作業であったかが伺える。

NHKてがっ。 チッソ・リンサン・カリ  兄ちゃんはんかくさい  などと、色々こき落してきたが、やっぱり日本放送協会である。

「ところで、かっちゃ、受信料払ってらべな」
「受信料はちゃんと払ってらんども、あんだぁ、まーだ督促きてらよ! はやぐ固定資産税払ってきなせーっ」
「はいっ」

どーっ

2006年5月22日(月)

 最近どーっと疲れが出てきた。
今まではそんなことはなかったのだが、ここの所、忙しいの何ので、もうしっちゃかめっちゃか雨あられ・・・。  なのだ。
私自身は営業を担当することはめったにないのだが、各営業が手が足りなくなりやむを得ず15年振りくらいに直接お客様を担当することになった。
だから、どーっと疲れが出たという事ではない。
久しぶりに担当してみて、かえって心地よい気分になっている。
やはり直接生のお声を、お聞きすることが楽しくてたまらないのである。
では、なんで疲れがどーっと出たのか?
それは、展示場の草取りをするとやたらと肩がこるのである。
今まで肩こりなんてあまり経験したことがないものだから、やたらと気にかけてしまう。
しゃがんで作業をすると10分と持たない。
ふぅーっ、ふぅーっ、とため息ばかり出てしまい、あの大好きだった草取りがついおっくうになってしまった。
かかあは、 「あんだ、いづからそんなカラヤキになったの、草取りしてらがど思えばボヘーと空ばり眺めで・・・」 「いや、ちょっと肩こりがひどくて・・・」 「肩こったらあんまさいってくるんだ!」 「いや、あの、ちょっと肩もんでけねが?」 と言う間もなく、さっさといなくなってしまう。
どうにもこうにも、こればかりは辛い物である。
脳天までずきんずきんとしてくる。
しばらく草取りは休ませてもらっていた。

が、ふと思い出した話がある。
お年を召した女性がジャーブラをすると肩こりがひどいと言う話である。
分った! 実は去年のジャパンガーデニングショーの時、ガーデン21のメンバーと横浜の街を飲み歩いて突然ベルトがはずれてズボンが落ちたことがある。
それ以来サスペンダー愛好者になっていた。
つまり、吊りバンドを使い続けていたのだ。
ジャーブラと同じで重みが直接肩に食い込む為で、私も草取りの為にしゃがみ込むと肩にずしりとその重みが、と言っても胸ではないが、こりの原因になっていたというわけである。
なるほど、納得。

きょうは気分がよく、サスペンダーをはずし一日芝貼り作業をやってみた。
満足である。
作業を終えたときは何とも心地良い汗と、かかあの一言がたまらない。

「あんだっ、やれば出来るんでねえーの」

どーっと疲れが      で      た     。

出張その2 ばげ (夜)

2006年5月14日(日)

 母ちゃんと二人してようやく市場へたどり着き6時間かかって品定め。
くたくたになってホテルにチェックイン。
周りを見渡せば紳士淑女の方々のお泊りになるホテルらしく、我々のようなよれよれの服装の者は一人もいない。
「かあちゃん、ちょっとこれだば・・・」 
「なぁに、同じ金出して泊まるものダメダってしゃべるってがぁ」
「いや、服゛ばりでなぐ靴も泥だらけだよ」
「しゃべられだらスリッパ借りだらいがべ」

と、まあ、とりあえずチェックイン、なるべく靴を見られないよう小走りでエレベーターに向かおうとした瞬間 「お部屋までご案内いたします」 ときた。
これはまずい! とは思ったが仕方がない。
何故か僕は内股歩きである。
やはり人の目線が気にかかる。
母ちゃんはというと、これは堂々としたもので、周りなんか気にせずスタスタと歩いている。
あれ、母ちゃんの靴はあまり汚れていない。
「おかさん、靴きれいだね」
「うん、さっきホテルの入り口のジュウタンさ、こすってきたがら」
思わずふきだしてしまった。
なんと要領の良いことと感心させられる。

食事も済ませ、そろそろ寝ましょうかになったが、僕はまだ飲みたりず缶ビールを買いに走った。
部屋に戻ると母ちゃんは眠りについていた。
僕もそろそろ寝ようと思ったが、少しお腹がすいたような気がし母ちゃんのバックの中に手を突っ込む。
母ちゃんはいつもバックの中にチョコレートを入れているのである。
そのチョコレートを全部たいらげたが、まだ足りないような・・・。
ふと、あたりを見回すとみかんが入っていただろうと思われる網の袋が目にとまった。
いつの間にみかん買ったんだろうか?
それにしても一人で全部食べるのには無理がある。
きっと冷蔵庫にでもしまってあるのだろうと思いつつ、開けてみたが何も入っていない。
しかたなく、母ちゃんを起こして聞いてみることにした。
「おかさん、おかさん、おかさんってば」
「うーん、なーにっ、うっるさいな、きょうは疲れでるがら・・・・・・・・」
「ちちち違うってば、なに勘違いしてらの、 みかん・みかんどごさあるの?」
「みかん?そったらのないっ」
「いやっ、ふぐろあるのさ、みがんないってがぁ」
「ふくろってなんの袋だのっ」
「だぁーがら、みがんのっ」 と何回しゃべっても、もう返事がない。
起きているはずなのに、寝たふり老人を演じているのである。
しかたなくみかんはあきらめて僕も床についた。
即、爆睡状態となる。

朝。

「あんだ、夕べ喋ってらのはこれだべ」
「はぁっ、何だのそりゃ?」

バーナルの石鹸の泡立器だそうだ。
「この網はみかんよりも高いのっ!」

出張

2006年5月10日(水)

 今週、月火と二日間、東京町へ行ってきた。
かあちゃんと二人して・・・。
正確には埼玉県であるが、かあちゃんにしてみれば東京町も埼玉も同じなのである。
何しにいったかと言うと植栽の仕入れである。
なんてったって、こちらの市場とは規模が違う。
だめだめ、あんまり手の内をおしえたら商売がやりずらくなるから、あまり言わないでおこう。

相変わらずの珍道中である。

新幹線で大宮まで行き、あとはレンタカーを走らせる。
今はカーナビなるものがあるからそんなに迷ってしまうことはないのだが・・・。
二人ともそのカーナビの操作が分らないとなっては話は別だ。

まず、トヨタレンタリースでカローラを借りた。
「おかさん、これどうやればいいの?」 「あんだも知らねえのわだしさ聞いだって分るわけながべ」 「えーと、スイッチ、スイッチ」 「パワーつうのが、スイッチだべ、きっと」 押してみた。 
 すうーと画面が消えスクリーンがどこかに引っ込んでしまった。
「あら、テレビがいなぐなった」 「いや、引っぱってみだら?」 「引っぱるって、どこ引っぱればいいのよ」 「引っぱるどごながったら押してみだら」 
押してみた。
すうーとスクリーンが出てきた。
「ほーら出できた」 自慢げなかあちゃん。
ところで、ここからどやせばいいんだべ・・・。

かかあが、いきなり何かをしゃべり始めた 「わだしだちの行くところは・・・・」 とカーナビに向かって行き先を告げている。
「おめ、バガでねえがぁ、何ぼなんだってカーナビさ、おめの言葉分がるわげながべ、どれ、おれがしゃべってみるがら、 えーと僕達の行き先は・・・・」

しばらく格闘が続く

するとコンコンと窓を叩く音がした。
レンタやさんの、お兄さんである。
「どうかしましたか」 「あのーさっぱり言う事聞かないです、このカーナビ」 「そんなはずはないんですがねぇ」 ピッポッパッとボタンを押す。
「大丈夫ですよ」 と一言。 
「あぁっ、しゃべらなくてもいいんですね・・・」 「はぁっ?」 とお兄さん。
「あっ、いやいや、なんもなんも・・・」 と照れ隠しである。
さてと、お兄さんが操作した手順をおってやってみたが、一向にらちがあかない二人。
住所を何回も入力するが出てこない。
レンタやさんで、30分以上も格闘したが、やっぱりだめだった。

「すみません、ここの住所は埼玉県じゃないんですか?」 と東京町の言葉で聞いてみるぼく。

「あぁ、そこは合併して名前が変わっていますよ」  ガクッ

どうりで、なんぼしゃべってもつうじねぇわげだ

最後まで書きたかった独り言

2006年5月6日(土)

 毎日数十組のお客様がご来店される。
過去の最高入場組数は、1日154組という時があった。
あくまでも組数であるから人数にすると子供さんは入れずに一組あたり平均すると2.7人であるから展示会初日だけで415.8人のご入場である。

 この時ばかりは、お客様の接待どころではない。
まったくお構いできないのである。
ただただ呆然と・・・。

 そんな反省から、チラシは日にちを分けて入れるようになった。
そうすることによりお客様が分散してご来場くださるようになり、今は1日平均50組くらいのご来場になっている。
この50組が我々にとってちょうどよく、失礼の無い接客が出来る組数である。

 また今年は展示場に新たに季節館ホールと、アーチスト村が完成しそちらも賑わいを見せている。
ホールではカウンターでコーヒーも無料で頂くことが出来、くつろぎの空間として親しまれている。
 また、担当者をお待ちのお客様にとっても落ち着いた空間で退屈せずにお待ちいただくことが出来るようになった。

 アーチスト村もなかなかの評判で、特に手作りのバックに人気が集中しているようだ。
お客様のご要望に応じて、布製はもちろん皮製のバック、或いは旅行かばんまでそれぞれの使い勝手によってあらゆる物を作ってくれる。
実は私も旅行かばんを注文した一人だが、現在人気沸騰で向こう1ヶ月間は予約で満杯とのことである。
「今月も上海に行かなければいけないので、何とかなりませんか? あぁ無理」
やはりちょっと無理なお願いであった。

はなしが  と  行きたかったが・・・

ちゃっかちゃっかちゃっかちゃか・ちゃっかちゃっかちやー  (沖縄の着メロ)
と携帯が鳴り始めた。
せっかく話がのってきたとこなのにぃっー。
あら、かっちゃからだぁ。
「はい」 
「ちょっと、あんだ、おらのバックさ入ってらった鍵しらねぇ?」
心の中で 「そたらの、しるってがぁーっ」 (※そんなの知るかぁ)
と思っても言わないで、やさしく 「机のあたりでもさがしてみるがぁ」 と言うボク。
「ふん、目の前さあるのも見つけれねぇ人が、そたらの探せるわげながべぇ」
(※目の前にあるものも見つけられない人が、そんなの探せるわけがないでしょう)
と、言われたと思う間もなく 「早ぐ、迎゛えにきたらいがべな!」 (※早く私を迎えにきたらいかが?)
「  」 の中の言葉と (   ) の中の言葉は意味は同じであるが、随分差があるような気がする。
あーぁ、東京町の人の言葉っこって、やさしいんだなぁー。

あっ、やばい、早ぐいがねば(※行かないと・・・)

かあちゃんを迎えに行く途中、つい口ずさんでしまった。
かぁっちゃかぁっちゃ・かぁっちゃかぁっちゃ・かっちゃかっちゃちゃー

 えぇー、そのアーチスト村であるが・・・・・・
あーっ、面倒くさくなってきた。        やーめた。

危機管理能力

2006年5月3日(水)

 今日は実にすがすがしく久々に気持ちの良い朝を迎えた。
空は青く澄みわたり朝からお日様をまぶしく感じる日である。
午前5時、近所の神社にお参りを済ませ、いつものように会社に向かう。
会社のドアを開けるなり、愛人、おっと間違えた愛犬のタラとホシノに熱烈歓迎を受ける。
本人、いや本犬達は別に熱烈歓迎しているつもりはもうとうないのであろう。
その証拠にドアを開けるまでは、甘えた声でふぅーん、ふぅーんと猫なで声でいや、これはなんと言うのだろう犬なで声とでもしておこう。
その犬なで声をだしていたかと思ったら、ドアーを開けた瞬間に外へまっしぐら。
無理も無い、一晩中事務所を守ってトイレを我慢しているわけだから、飼い主に甘える暇も無いのである。

一通りの儀式を終えサッパリした顔で二匹仲良く返ってくる。
次は私の出番である。
スコップ片手に、そのありかを探す。
大体は同じ場所であるから、さほど面倒ではないが、たまに見つけかねることもある。
その見つけられなかったものが、思いもよらぬところにあったりするから大変なのだ。

それは、一昨年の出来事であった。 (もう、時効かな?)
私共の展示場には多種多様なるお客様がお見えになる。
東京町の言葉で話すお客様から、八戸弁を話すお客様、更にはざい語を話すお客様まで、中にはけちだけをつけられれて、お帰りになるお客様まで・・・。

某月某日(小雨)
 白の軽トラックが展示場の中をものすごい勢いで入ってきた。
場内にいたお客様もあわてて自分の子供をたぐり寄せびっくりした表情で、いったいなにやつといった雰囲気で見守っていた。
そのトラックから降りた容姿からして、いかにもといった感がある。
白足袋にセッタ履き、真っ白なポッカニッカ、青光りした頭・・・。
肩で風をきりこちらに向かってくる。

 当社社員が接待に・・・。 固唾を呑んで見守る数組のお客様と私・・・。

お兄さん : 「こりゃ、何ぼよ!」 (これはいくらだ!)
社員 : 「ハイ、○○円です」
お兄さん : 「だぁして、たっげぇ、たっげぇ」 (翻訳不可・相槌のようなもの) (高い、高い)
社員 : 「材質がWRCですから・・・・」
お兄さん : 「したたたて、木だべせ、木ぁ腐るべせ」 (しかし、木だろう、木はくさるだろう) 等々さんざん難癖をつける。
何を言っても理解してくれないお兄さんに、困り果てた様子の社員。
とにかく、早く帰ってもらいたいの一心である。

他のお客様もその気持ちは同じである。
しばらくそのやり取りを、お客様も見て見ぬふりしながら、見ていた。
互いのやり取りが続くが一向にらちがあかない様子。
そろそろ私の出番である。
傘を片手に 「どうかしましたか?お客様」 とさりげなく声をかける私。

お兄さん  : 「たげばりたがくて、一っも良いのネェ」 (高いだけ高くて一つも良い物が無い) と、また難癖をつけ始めた。

私もあきれてしまい、ふと下の方をみて、はっとした。
まさに心臓の止まる思いだ。
うむっ、ぁっ、お兄さんの後ろにタラのでかい、うん○が・・・
あっーっと、思う間もなく (ぐちゅ) 

とっさに、私は持っていた傘で自分の顔をかくした。
そして、吹き出してしまったのである。
回りのお客様も、みんな後ろを向いて笑いをこらえている。
通常であれば、このことは大変失礼な事であることは確かだが、今回だけは、ご来店のお客様も、充分理解してくれたご様子。

 そのお兄さん、なかなかの人物?らしく、ばつ悪そうに、苦笑いをしながら
「ここいらぁ、のら犬おおがべせっ」 (ここいらは、野良犬が多いんだろう)
と、一言・・・。
白足袋に、うっすらと、タラの思い出を残し、静かに去ったのである。 

さすが、忠犬タラである。
そのような危機をあらかじめ予測し、いつもとは違う場所に・・・。
でも、本当は心の優しいお兄さんだったんでしょうね。  きっと・・・。

商売繁盛

2006年5月1日(月)

 4月20日にオープンしたアーチスト村であるが、なかなかの盛況ぶりである。
初日、二日目は、平日ということもあり客足は今一であったが、22日23日の土日には二日間で述べ270人からの来場者で賑わった。
もちろんこの人数すべてがアーチスト村だけを訪れたわけではないが、それにしても予想以上の数字であった事は確かである。
 更には、27日のテレビ取材、29日には二回目のチラシ攻勢で入場者に拍車がかかり、30日の日曜日には、1日で200人を優に超える盛況ぶりであった。

 ここで話が終わったのでは、単なる自慢話になってしまいかねないので、続けよう。
実は、この繁盛ぶりに便乗したテナントが現れたのである。

露天商の方?
893やさん?
どちらでもない・・・。

実は、本八戸駅前で、(うおんさい) という料理屋を営む私の一番上の姉夫婦である。
「淳ちゃん、こったらに人、入るのだばおらんども(私達も)弁当出す、あど、フリーマもやるすけ小屋貸してけね」 ときた。
私の大切な姉弟であるから断る理由も無い。
なかなか商魂たくましいものだと感心させられる。
「姉ちゃんが、店だすのだったら、おれの自慢のカレーも出すすけやってみねか?」
となり、私の大切なストックを提供したが・・・。

お昼、やはり人は相変わらず多く、古代米おいなり、太巻きと順調なすべりだしである。
カレーもまずまずであった。
もちろんフリーマも。
一段落したところで姉の旦那 「ママ、俺も腹減った、いなり食べでもいいが?」 すると姉は、「250円だんどもいいが!?(250円だけど、それでもいいの)」
「俺からも金とるの?」
「あたりまえだべ、商品だもの」
と、二人の会話がつづく・・・・。

しかし、世間一般には分らないだろうが、一度商品として出したものは身内であろうが、金を取るのは当たり前のことであり、また、とらなければならないものである。
姉の心中は、まかないでもあるまいし、ましてや、周りにお客様がいるところでハイどうぞとはいきませんよ。
と、いったところではないだろうか?

私達もお腹が減ってきたので、自分の自分の自分のカレーを注文し二人分1000円を支払い食した。
やはり、美味い・・・。
《このカレーは、姉の娘、つまり私の姪から伝授してもらった秘蔵のカレーであり、なかなかの評判で、一度に40人〜50人分作ってもすぐになくなってしまうのである。》
話がちょっとずれたが・・・。

それはともかく、私はいくら何でも私の私の私の1000円は後で返ってくるものだと信じていたが・・・。

夕方、お先しまーすと言ったきり返ってくることはなかった。

翌日、「きのう、やたらと評判いがったすけ(良かったから)きょう、きのうより数増やしたよー、フリーマも、押入れひっくり返して、あわててもってきたんだぁー」

だと。
誠に平和である。

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